本質的に効果がない「~すべき」論者

最近思うこと。たまにこういう感じで物事を言って来る人がいる。

「常識なんだから~~すべきだ」
「みんなが~~しているんだから~~すべきだ」

これらを聞くと本当におかしなものの言い方をするなと思う。
たまに、上司部下の関係でこんな台詞を聞いたりすると最悪。

上司の人の無能さを痛感する。

なぜなら、これらの説明は、全て前提条件をうやむやにしてしまっているからだ。
これは、教育上を考えるとは非常に最悪なケースである。

例えば、交通ルールを教育する場合に次の文章を考えてみよう

「右見て左見てまた右見て渡れ」

という「~すべき」という文を考えてみよう。
これを、前提条件を説明せずに教え込むというのは、教育する立場の
人間としては失格なのです。

上記の条件は、下記の条件があったときに始めて成り立つ

・日本のような車が左側通行の道路
・一方通行ではない
・車線も2車線のタイプの道路

この条件が成り立つときに初めて、右側から来る車のほうが重要だということになる。
なぜならば、最初の一歩を踏み出すときには右から車が来る確率のほうがはるかに
高いからである。

「右見て左見てまた右見て渡れ」というのを呪文のように覚えている人は、
例えば、一方通行の道路もそういう行動をしてしまうかもしれない。
海外の道路でもそういう行動をしてしまうかもしれない。

本質を理解していないので、間違って左を最後に見るかもしれない。

よく言われることだけど、動物の親が子育てするときに必要なのは、

「餌のとり方を教えるのが親の責任であり餌を与えるだけでは
親の責任を果たしたとはいえない。」

といわれます。

餌のとり方を理解するということは、それを行うときに根拠を理解するということ
それを教えることによって独り立ちができる。
仕事をしていく上でもそれは同じです。

~~すべきという結論にいたるまでの仮定をきちんと説明しなくては
ちゃんと、「自分で餌を採る動物」には育たないと思います。

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