原発事故の加害者の一人は国

小泉進次郎さんの言葉

「原発事故を起こした加害者側の1人は、国だという認識を、絶対に忘れてはいけない」

は素晴らしい言葉であります。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20140617-00000770-fnn-pol

こういう意識を持って国を代表して仕事をしてくれていいるというのは国民にとってとても安心感があります。

一方、こういう意識をまったくもっていない議員もいるというのは残念なことです。最近有名な発言になった。「最後は金目でしょ」なんて最たる門で、加害者意識が全くないというのは間違いないと思われる。

たとえ、昔の他の議員が決めたことであっても、自分できちんと責任を背負おうと言う姿勢は重要であると思う。これはおそらく一般企業でも同じで、常に自分に責任があると言う気持ちで仕事に望むと言うことは非常に重要なことだと思う。


「最後は金目でしょ」なんて発言は、別の現象に例えるのであれば、交通事故を起こした加害者が、被害者に対して、「金で賠償すればいいでしょ」「所詮は金が欲しいんだろ」といっているようなもんです。しかも、今回の場合には、自分の懐から出す金ではなく、国民の共通資産から出されるお金である。それをそういう気持ちで使おうとするのだけは絶対に許したくない。

政治の世界には、我々の日常の常識とは異なる常識を持っていることが多い。例えば、国会の議会中に響きわたるヤジ。自分の党の発言だったら、とりあえず「そうだ!そうだ!」と同調する声を上げる姿。正直、小学生の学級会くらいにギリギリ見たかなという感じで、あまり、一般の社会の中では見ない光景である。

もっと一般的な世界と言うものを政治に取り戻す必要があるのではないかと思う。政治家を評価できるのも国民一人ひとりしかいない。国民を代表して仕事をしてくれる人は誰なんだろうかというのを真剣に見極めていく必要があるのではないかと強く感じた。

子どもの言語学習過程

前回のブログで、「英語は丸暗記」というタイトルでブログを書いて見たのだけど、
それは、やはり子どもの言語学習過程を観察していく上でなんとなく感じてきたことである。

子どもと言うのは、言葉を話し始めるときに必ず真似から始めている。

おそらく、最初は、ある聞き取れた言葉を意味も分からずに真似して話すところから始まっている。
次にその言葉とシチュエーションがリンクして、この言葉はこれに一致するんだということを覚えながら語学を学んでいるという気がしている。

私が受験生時代だったことは、語学も理屈があるに違いなく、原理原則に従って理解していくことが、語学をマスターすることにつながるなんていう考えを持っていたんだけど、そんな考え方をしていたから、きっと語学がマスターできないんだろうなと最近は思うようになった。

子どもが言語を習得するときには、絶対に理屈から入っているわけではなく、覚えていく過程で、共通項としてなんとなく覚えていくような気がする。

英語は丸暗記

英語は、例文を丸暗記することが重要であるというのを予備校の先生が言っていた記憶がある。
確か、当時は代ゼミの鬼塚幹彦先生がそんな事を言っていた。

当時は、暗記を苦手にしていたし、暗記なんて邪道な勉強法だと思っていたので、丸暗記という言葉に抵抗感を覚えていた記憶がある。

でも、今となってこの言葉の意味がなんとなく理解できた気がする。
おそらく、英語を覚えてしまうくらい、聞いて、読んで、しゃべってということを徹底的に繰り返し行うと言うことなのだろう。語学と言うのは、結局は自分の中にあるイメージを言葉に出すことが大事で、多くの例文を通じて、その感覚を身につけるというのが重要だったのだろう。

社会人になって、もう大分立ってしまった今頃、「英会話ショートフレーズ辞典」で、それを実践して見ようかなと思い立っています。

この本はそういう意味では素晴らしいと思う。