似ている芸能人

NHKで昔やっていたドラマ。

刑事の現場というドラマを見た。

http://www.nhk.or.jp/dodra/keiji/
http://www.nhk.or.jp/nagoya/keiji2/

今月は、NHKオンデマンドで月980円で見放題になっているので、
とにかくいろいろ見た。

特に刑事の現場2の方は、とても面白かった。
武田鉄也のキャラがいい感じで、とにかく物語りに引き込まれてしまった。

このドラマでは、なんか他の芸能人に似てる人がいっぱい出てきた。

最初は、

カリカの家城さんと森山未来さん。
方や不細工芸人NO1で方や2枚目俳優だから微妙な感じかもしれないけど。


ちなみに写真は、下記と下記です。


森山未來さん
 

カリカ家城さん


そしてもう一組が

ARATAさんとMr.childrenの桜井和寿さん。


 ちなみにARATA氏の写真はこちら。



もはやエコバックはあまりエコではない

最近、エコバッグをもらう機会が非常に増えたような気がする。

世の中のエコブームに乗ってエコバッグを各社が作成しているからであろう。
しかし、このエコバッグ。我が家にも多くのエコバックがあり、
かなりの部分は不要なエコバッグになっている。

エコバックなんて所詮は、一家に2~3こあれば充分なのであるが、
家にはいろいろなところからもらったエコバッグが20個以上はあるように思う。

で、当然利用するのは、その中の2~3個程度。

現在は、エコバックを作りすぎて逆に資源の無駄遣いをしているのではないか
と思ったりもする。

無駄だなぁ。つくづく思う。

久留米大砲ラーメン

なんとく九州のほうのとんこつラーメンが食べたくなり
ラーメン博物館にいってラーメンを食べた。

本日食べたのは、久留米大砲ラーメン
http://www.taiho.net/






店内にあった「おろしにんにく」をラーメンに加えて食べて見ると
なかなか味が変わり美味かった。

ちなみに、ここでは、机の上に下記のラーメン用のトッピングが用意されていて
自由に入れることが可能になっていた。
・こしょう
・ごま
・紅しょうが
・おろしにんにく
・からしにんにく

IKEAのフリードリンク

IKEAのホットドックは安い!!
なんといっても、ホットドッグ100円。
しかもこれにプラス50円でソフトドリンクが飲み放題になる。

IKEAに行くとたいていホットドッグを食べてしまう。

ブロークンイングリッシュ

ブロークンイングリッシュでも恥ずかしがることは全然ないんだと始めて感じたのは、
元Googleの日本法人社長さんの村上憲郎氏の著書
村上式シンプル英語勉強法
という本に出会ってからだったと思う。

この本を読んで、文法なんて多少は間違ってても大丈夫とか
そういう風に感じれるようになった。

それまでは、やっぱり、日本の英語教育の影響を受けていたせいか、
なんか発音が変な日本語英語はしゃべると恥ずかしいなぁとか
文法を間違えると恥ずかしいなとかいう思いがものすごく強く
苦手意識を持っていた私は、英語を遠ざけてしまっていたように思う。

でも、この本に出会ってから1年くらいたつけども、それからいわゆる「村上式」の
方法というのは、他にも多くの人にやられているんだなと感じるようになった。

先週、NHKの「実践!英語でしゃべらナイト」という番組でもあの「キッズシティ」などで
有名な、住谷栄之資さんが出ていたが、この方も若いころは、ブロークンイングリッシュで
海外を飛び回り、情熱だけを武器に何とかビジネス英会話をされていたとのこと。
(余談ですが、この番組には、村上憲郎さんも出演されてました)

また、ちょっと前に政治家の前原誠司さんも米国でスピーチを英語でしていた模様が
ニュースで流れてきた。これも日本人らしいブロークンイングリッシュだったけど、
私は、とてもかっこいいなぁと感じた。
今までの政治家なんて、今までは、通訳を通して自分でスピーチしないという人が非常に
多かったように思うが、このように自らが英語でスピーチするというのは
とても素晴らしいと思った。

こういう姿が日常的にテレビに流れれば、もっともっと
日本人が、英語を話すことに抵抗がなくなるのではないかと思う。


本質的に効果がない「~すべき」論者

最近思うこと。たまにこういう感じで物事を言って来る人がいる。

「常識なんだから~~すべきだ」
「みんなが~~しているんだから~~すべきだ」

これらを聞くと本当におかしなものの言い方をするなと思う。
たまに、上司部下の関係でこんな台詞を聞いたりすると最悪。

上司の人の無能さを痛感する。

なぜなら、これらの説明は、全て前提条件をうやむやにしてしまっているからだ。
これは、教育上を考えるとは非常に最悪なケースである。

例えば、交通ルールを教育する場合に次の文章を考えてみよう

「右見て左見てまた右見て渡れ」

という「~すべき」という文を考えてみよう。
これを、前提条件を説明せずに教え込むというのは、教育する立場の
人間としては失格なのです。

上記の条件は、下記の条件があったときに始めて成り立つ

・日本のような車が左側通行の道路
・一方通行ではない
・車線も2車線のタイプの道路

この条件が成り立つときに初めて、右側から来る車のほうが重要だということになる。
なぜならば、最初の一歩を踏み出すときには右から車が来る確率のほうがはるかに
高いからである。

「右見て左見てまた右見て渡れ」というのを呪文のように覚えている人は、
例えば、一方通行の道路もそういう行動をしてしまうかもしれない。
海外の道路でもそういう行動をしてしまうかもしれない。

本質を理解していないので、間違って左を最後に見るかもしれない。

よく言われることだけど、動物の親が子育てするときに必要なのは、

「餌のとり方を教えるのが親の責任であり餌を与えるだけでは
親の責任を果たしたとはいえない。」

といわれます。

餌のとり方を理解するということは、それを行うときに根拠を理解するということ
それを教えることによって独り立ちができる。
仕事をしていく上でもそれは同じです。

~~すべきという結論にいたるまでの仮定をきちんと説明しなくては
ちゃんと、「自分で餌を採る動物」には育たないと思います。