2014年9月22日月曜日

日本人が英語を喋れない理由

最近、大前研一さんの書籍を2冊ほど読んだ。



これを読んでなんとなく感じたことがある。日本人が10年以上も学校で英語を勉強しても英語が喋れないようにならない原因は色々あると思うのだけど、一番大きな原因は、

「日本人は失敗を恥ずかしいことだと考える人が多い」

ということに尽きるのではないかと思うようになった。失敗を恥ずかしがるがゆえにチャレンジをしなくなり、その結果英語を話すことから遠ざかろうとする。

では、失敗を恥ずかしがるという考え方はどこで刷り込まれるのだろうかというのも考えて見たのだけど、それも自分自身でも良く分からない。もしかすると、学校のカリキュラムがそうさせているのかもとも思うけどそう断言できるだけの確信も無い。

ただ、現状の学校教育は、英語教育を例にとって見れば、英語教育の現状の目的はとして、「英語を話せる人間を育てるということ」に目的は絶対に置かれていない。もしも置かれているのであれば、少なくとも授業の大事な部分は「自分が考えていることを言葉にすること」を主眼にするはずで、与えられた英文を和訳したり、与えられた和文を英文に変えたりすることを主眼に置かないからである。
これに主眼が置かれる理由は1点しかなくてそれは、点数をつけやすい形式で授業を進めたいということ意外にありえない。

つまり、学校教育はやはり与えられたものを記憶して、その記憶力を点数化して成績の序列を作ることが目的のように感じる。これぞ大前さんも上記の書籍で述べている偏差値教育と言うものなのだろうかと思う。偏差値と言うものがもやる気をシュリンクさせる効果があるという話も書かれていたが、そうやってだんだんと、日本人は「間違えることは恥ずかしいこと」という価値観が植えつけられてそしてだんだんとチャレンジしなくなってしまうのかなとも思う。

2歳児の娘を見ていて思うのだけど、この時点では、間違いを恐れずにどんどんと話そうとチャレンジしている。そして、間違えても間違えてもどんどんと話そうとしてくる。ということはこの時点ではこのような価値観は無いのだと思う。だからこそ、幼少期に母国語を習得できるのだろうと思う。

ちょっと前に、「偏差値教育の弊害」なんて言葉が出てきて、ゆとり教育なんて方向に走っていたけどこちらの方向に切り替えるのではなく、自らの考えを述べる時間を大幅に増やす方向性に変わっていたらちょっとは良かったのかもしれないと思う。

点数をつけて序列をつけるのではなく、自らの考えを周りに発信して、みんなからどれくらいすごい人と思われるかで序列をつけたほうがよっぱど健全な世の中になるのではないだろうかと思い始めてきました。