国会議員の金の使い方

最近、国会議員の金の使い方についていろいろと問題になっているけど、なんか違和感を覚える。

普通の会社員が業務とは関係ないお金を経費申請と化したら、懲戒解雇にされても文句は言えないくらいの重罪である。

国会議員も議員資格剥奪くらいすべき内容である。

また、よく聞くのが「事務処理のミス」というセリフ。これもありえない話です。
私の感覚では、男性が女湯に入るくらいありえない。

「間違って女湯に入ってしまいました。すいません」

なんて通用するはずはなく、本当に間違ってだとしても逮捕されても文句は言えまい。

(もしかすると、逆の場合、つまり女性が男湯に間違えて入ってしまった場合には謝れば許されるかもしれません)

つまり、間違えないように慎重になる必要がある部分なはずなのである。

事務処理のミスと言うセリフは一切許さないと言うくらいの毅然とした態度で、こういう国会議員達は資格を剥奪してほしいのであります。

日本人が英語を喋れない理由

最近、大前研一さんの書籍を2冊ほど読んだ。



これを読んでなんとなく感じたことがある。日本人が10年以上も学校で英語を勉強しても英語が喋れないようにならない原因は色々あると思うのだけど、一番大きな原因は、

「日本人は失敗を恥ずかしいことだと考える人が多い」

ということに尽きるのではないかと思うようになった。失敗を恥ずかしがるがゆえにチャレンジをしなくなり、その結果英語を話すことから遠ざかろうとする。

では、失敗を恥ずかしがるという考え方はどこで刷り込まれるのだろうかというのも考えて見たのだけど、それも自分自身でも良く分からない。もしかすると、学校のカリキュラムがそうさせているのかもとも思うけどそう断言できるだけの確信も無い。

ただ、現状の学校教育は、英語教育を例にとって見れば、英語教育の現状の目的はとして、「英語を話せる人間を育てるということ」に目的は絶対に置かれていない。もしも置かれているのであれば、少なくとも授業の大事な部分は「自分が考えていることを言葉にすること」を主眼にするはずで、与えられた英文を和訳したり、与えられた和文を英文に変えたりすることを主眼に置かないからである。
これに主眼が置かれる理由は1点しかなくてそれは、点数をつけやすい形式で授業を進めたいということ意外にありえない。

つまり、学校教育はやはり与えられたものを記憶して、その記憶力を点数化して成績の序列を作ることが目的のように感じる。これぞ大前さんも上記の書籍で述べている偏差値教育と言うものなのだろうかと思う。偏差値と言うものがもやる気をシュリンクさせる効果があるという話も書かれていたが、そうやってだんだんと、日本人は「間違えることは恥ずかしいこと」という価値観が植えつけられてそしてだんだんとチャレンジしなくなってしまうのかなとも思う。

2歳児の娘を見ていて思うのだけど、この時点では、間違いを恐れずにどんどんと話そうとチャレンジしている。そして、間違えても間違えてもどんどんと話そうとしてくる。ということはこの時点ではこのような価値観は無いのだと思う。だからこそ、幼少期に母国語を習得できるのだろうと思う。

ちょっと前に、「偏差値教育の弊害」なんて言葉が出てきて、ゆとり教育なんて方向に走っていたけどこちらの方向に切り替えるのではなく、自らの考えを述べる時間を大幅に増やす方向性に変わっていたらちょっとは良かったのかもしれないと思う。

点数をつけて序列をつけるのではなく、自らの考えを周りに発信して、みんなからどれくらいすごい人と思われるかで序列をつけたほうがよっぱど健全な世の中になるのではないだろうかと思い始めてきました。

原発事故の加害者の一人は国

小泉進次郎さんの言葉

「原発事故を起こした加害者側の1人は、国だという認識を、絶対に忘れてはいけない」

は素晴らしい言葉であります。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20140617-00000770-fnn-pol

こういう意識を持って国を代表して仕事をしてくれていいるというのは国民にとってとても安心感があります。

一方、こういう意識をまったくもっていない議員もいるというのは残念なことです。最近有名な発言になった。「最後は金目でしょ」なんて最たる門で、加害者意識が全くないというのは間違いないと思われる。

たとえ、昔の他の議員が決めたことであっても、自分できちんと責任を背負おうと言う姿勢は重要であると思う。これはおそらく一般企業でも同じで、常に自分に責任があると言う気持ちで仕事に望むと言うことは非常に重要なことだと思う。


「最後は金目でしょ」なんて発言は、別の現象に例えるのであれば、交通事故を起こした加害者が、被害者に対して、「金で賠償すればいいでしょ」「所詮は金が欲しいんだろ」といっているようなもんです。しかも、今回の場合には、自分の懐から出す金ではなく、国民の共通資産から出されるお金である。それをそういう気持ちで使おうとするのだけは絶対に許したくない。

政治の世界には、我々の日常の常識とは異なる常識を持っていることが多い。例えば、国会の議会中に響きわたるヤジ。自分の党の発言だったら、とりあえず「そうだ!そうだ!」と同調する声を上げる姿。正直、小学生の学級会くらいにギリギリ見たかなという感じで、あまり、一般の社会の中では見ない光景である。

もっと一般的な世界と言うものを政治に取り戻す必要があるのではないかと思う。政治家を評価できるのも国民一人ひとりしかいない。国民を代表して仕事をしてくれる人は誰なんだろうかというのを真剣に見極めていく必要があるのではないかと強く感じた。

子どもの言語学習過程

前回のブログで、「英語は丸暗記」というタイトルでブログを書いて見たのだけど、
それは、やはり子どもの言語学習過程を観察していく上でなんとなく感じてきたことである。

子どもと言うのは、言葉を話し始めるときに必ず真似から始めている。

おそらく、最初は、ある聞き取れた言葉を意味も分からずに真似して話すところから始まっている。
次にその言葉とシチュエーションがリンクして、この言葉はこれに一致するんだということを覚えながら語学を学んでいるという気がしている。

私が受験生時代だったことは、語学も理屈があるに違いなく、原理原則に従って理解していくことが、語学をマスターすることにつながるなんていう考えを持っていたんだけど、そんな考え方をしていたから、きっと語学がマスターできないんだろうなと最近は思うようになった。

子どもが言語を習得するときには、絶対に理屈から入っているわけではなく、覚えていく過程で、共通項としてなんとなく覚えていくような気がする。

英語は丸暗記

英語は、例文を丸暗記することが重要であるというのを予備校の先生が言っていた記憶がある。
確か、当時は代ゼミの鬼塚幹彦先生がそんな事を言っていた。

当時は、暗記を苦手にしていたし、暗記なんて邪道な勉強法だと思っていたので、丸暗記という言葉に抵抗感を覚えていた記憶がある。

でも、今となってこの言葉の意味がなんとなく理解できた気がする。
おそらく、英語を覚えてしまうくらい、聞いて、読んで、しゃべってということを徹底的に繰り返し行うと言うことなのだろう。語学と言うのは、結局は自分の中にあるイメージを言葉に出すことが大事で、多くの例文を通じて、その感覚を身につけるというのが重要だったのだろう。

社会人になって、もう大分立ってしまった今頃、「英会話ショートフレーズ辞典」で、それを実践して見ようかなと思い立っています。

この本はそういう意味では素晴らしいと思う。

原発事故原因の本質

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日という本を読んで改めて思ったこと。

事故の直接の原因は津波により、電源が全喪失してしまったことだけど、それがなぜ起きたかと言うと、津波が来て予備電源か不能になることを想定していなかったからである。

現在政府は、この事故を教訓にして、同等の津波が来たときの対策を強化し、それの完了を持って安全な原発ということにして再稼動を始めようとしている。

果たして、この進め方は正しいのだろうか。

上記にも述べたとおり、本質的な原因は「想定外のことが起きたこと」に起因している。
今後は、10m越えの津波も想定内になったけど、それ以外に想定外の事象が起きないことをいったい誰が保障できるのだろうか。

結局、今回の事故で学んだことは、想定外のことが起きたら原発は事故が起こりえるということ。
今後も、想定外のことなんて発生するに決まっている。想定外なことが起きないなんていうのは、短絡的過ぎである。

なぜ、政府は原発を安全と言えるのであろうか。おそらく、ある一定の確率の範囲内で安全(例えば99.9%の確率で安全)であるというのを安全と言っているのだろうけど、それはごまかしてはいけない部分である。

安全率を確率の表現を用いて表現してもらいたいものである。

STAP細胞騒動についてその2

先日STAP細胞に関して小保方さんから反論の記者会見があった。

その記事などは例えば、こちらから。
http://thepage.jp/detail/20140408-00000014-wordleaf

で、そこで思ったのは、小保方さんはもしかすると本気でSTAP細胞の存在を信じているかもしれないと感じた。しかし、その証拠となる根拠の部分に触れるとあいまいな返答になるあたりには違和感を覚える。
例えば、下記あたり。

小保方リーダー会見 STAP細胞について「再現できた人がいる」
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/fake_and_plagiarism_paper/?id=6113117

これは、なぜその個人名を明らかにしないのかが理解できない。もし事実なのであれば、無実を証明する絶好のこの機会を逃す意味が無い。反論会見を開くのであればその準備期間にきちんと準備できていなければならない。

「STAP細胞、200回以上成功」…小保方氏
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140409-00050103-yom-sci

これも言葉だけで、何の意味も無い。例えるのであれば、「幽霊は存在するか」みたいなテーマで話が出たときに、「私は、もう200回以上見たから絶対に幽霊はいるよ!!」とか言っているようなもので、全然論理的ではない。科学論文と言うものは、少なくともこういう条件化で幽霊が出現することを確認したとか、幽霊が発生する原理とかそういうものを書くのが科学論文なのではないだろか。

今の小保方さんを見ていると、偶発的に幽霊に遭遇してそれをそのまんま「私は幽霊を見ました」と文章を書き、証拠の画像は適当なものを見繕って(もしくは合成加工して)発表したというようにしか見えないなというのが正直なところ。ただし、そういう状況に多く遭遇するの出れば、それは何かいい部分まで行っているのも間違いないと思うが、単にその状況下なのであれば論文を出すのは時期尚早であったのではないかと思う。もう少し、どういうときに発生しやすいのかとか発生条件を追求してそれをきちんと踏まえれば、素晴らしい発見になるかもしれない。

私としては、是非再現手順などをきちんと明確にした形でこの論文が早い時期に再発表されることを願っています。