選挙費用

選挙費用が700億円とも言われているけど、なるべくお金を掛けないで選挙する方法とかいままで誰も考えないのかな。

この内訳がどんなもんか知らないけど、結構な割合を占めているのが、
葉書の郵送費とか会場の諸経費だと思うんだけど、こういうのってもっと
効率化できるんじゃないかなと思ったりする。

なにしろ、やりたいことは、単に投票して集計するだけなのです。
インターネットの世界であれば、投票なんてものすごく安くできるはず。

本気で歳出削減しようと思えば、こういう面にも出てくるはずなんではないかな
と思うんだけど、そうならないと言うことはそういう気がないということなんでしょうね。

自民党政治

最近の政治の動きを見ていて、確信したことがある。

それは、自民党は歳出削減をする気はないということである。

このニュースを見て正直、唖然とした。

地域商品券に補助金=3兆円規模想定-自公が緊急対策
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2014112000839

口では財政健全化とか言っているけど、まぁ口だけですね。

次の選挙は野党が歳出削減にターゲットを絞って選挙活動を行い、さらに
候補者調整を上手く行えば、結構自民党も票が取れないのではないかと思う。

仮にお金が余っているのであれば、このように配るのも理解できます。
しかし、現状は、お金がないといっている状況の中で配ると言うのは全く理解できない。

どこの会社に赤字なのに配当金配ったり、ボーナスを増やしたりする企業が
あるのでしょうか。

この行動は、全く理解できない。無理やり理由を考えるのであれば、選挙対策ということしか思い浮かばない。

楽天のやり方

楽天のサービスを見ていると、以前から消費者のほうを向いていないよなと
感じることが多かった。

例えば、楽天Web検索。ポイントがたまらなければ絶対に利用しないであろうサービス。
http://websearch.rakuten.co.jp/

広告エリアと検索結果エリアが非常に分かりにくいつ繰りになっていて、
Google adsの規約違反なのではないかと言うくらい分かりにくい。

楽天ブックスもそう。ポイント10倍とかたまにやっているんだけど、
10倍の条件が複雑で何回か騙されたことがある。
(XXを一緒に買うととかそんな変な条件がついていたりする。)

そんな中、致命的なニュースがこれである。

楽天市場、銀行決済の振込先を「楽天銀行」に一本化 「日本の商習慣ではありえない」と撤退表明の店舗も
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1411/19/news146.html

店舗側は、なんとか説明がつくつくりになっているかもしれないけど、顧客の利便性は下がっている。とりあえず、楽天銀行に口座が無い人にとってはまずデグレードしている。

ありえないよな。こんなことを続けていたら顧客は離れていくのではないかと思う。
こんなことしていたら、そのうちYahooに抜かれてしまうんではないだろうか。

クレジットカードを持たないという人も一定層はいるだろうに...




歳出削減する気があるのか

こんなニュースがあった。

首相、商品券配布で消費支援指示 低所得や省エネ住宅新築時
http://www.47news.jp/CN/201411/CN2014111701001995.html

これは、さすがに信じられない。安倍さんは、本当に歳出削減する気は
ないのではないだろうか。

こんな政策をしても、消費を一時的に増やす効果しかない。
これだったら、増税して駆け込み需要を狙うのと効果は(短期的には)同じではないか。

もともとは、身を切る覚悟で歳出削減に取り組むと言うのが消費増税を行う
際の約束だったはず。野田政権だったらこれが実現できていたかどうかは
分からないけど、とりあえず、これを実現できる政権が国を運営して言って欲しいと
強く思うのである。

国会議員の金の使い方

最近、国会議員の金の使い方についていろいろと問題になっているけど、なんか違和感を覚える。

普通の会社員が業務とは関係ないお金を経費申請と化したら、懲戒解雇にされても文句は言えないくらいの重罪である。

国会議員も議員資格剥奪くらいすべき内容である。

また、よく聞くのが「事務処理のミス」というセリフ。これもありえない話です。
私の感覚では、男性が女湯に入るくらいありえない。

「間違って女湯に入ってしまいました。すいません」

なんて通用するはずはなく、本当に間違ってだとしても逮捕されても文句は言えまい。

(もしかすると、逆の場合、つまり女性が男湯に間違えて入ってしまった場合には謝れば許されるかもしれません)

つまり、間違えないように慎重になる必要がある部分なはずなのである。

事務処理のミスと言うセリフは一切許さないと言うくらいの毅然とした態度で、こういう国会議員達は資格を剥奪してほしいのであります。

日本人が英語を喋れない理由

最近、大前研一さんの書籍を2冊ほど読んだ。



これを読んでなんとなく感じたことがある。日本人が10年以上も学校で英語を勉強しても英語が喋れないようにならない原因は色々あると思うのだけど、一番大きな原因は、

「日本人は失敗を恥ずかしいことだと考える人が多い」

ということに尽きるのではないかと思うようになった。失敗を恥ずかしがるがゆえにチャレンジをしなくなり、その結果英語を話すことから遠ざかろうとする。

では、失敗を恥ずかしがるという考え方はどこで刷り込まれるのだろうかというのも考えて見たのだけど、それも自分自身でも良く分からない。もしかすると、学校のカリキュラムがそうさせているのかもとも思うけどそう断言できるだけの確信も無い。

ただ、現状の学校教育は、英語教育を例にとって見れば、英語教育の現状の目的はとして、「英語を話せる人間を育てるということ」に目的は絶対に置かれていない。もしも置かれているのであれば、少なくとも授業の大事な部分は「自分が考えていることを言葉にすること」を主眼にするはずで、与えられた英文を和訳したり、与えられた和文を英文に変えたりすることを主眼に置かないからである。
これに主眼が置かれる理由は1点しかなくてそれは、点数をつけやすい形式で授業を進めたいということ意外にありえない。

つまり、学校教育はやはり与えられたものを記憶して、その記憶力を点数化して成績の序列を作ることが目的のように感じる。これぞ大前さんも上記の書籍で述べている偏差値教育と言うものなのだろうかと思う。偏差値と言うものがもやる気をシュリンクさせる効果があるという話も書かれていたが、そうやってだんだんと、日本人は「間違えることは恥ずかしいこと」という価値観が植えつけられてそしてだんだんとチャレンジしなくなってしまうのかなとも思う。

2歳児の娘を見ていて思うのだけど、この時点では、間違いを恐れずにどんどんと話そうとチャレンジしている。そして、間違えても間違えてもどんどんと話そうとしてくる。ということはこの時点ではこのような価値観は無いのだと思う。だからこそ、幼少期に母国語を習得できるのだろうと思う。

ちょっと前に、「偏差値教育の弊害」なんて言葉が出てきて、ゆとり教育なんて方向に走っていたけどこちらの方向に切り替えるのではなく、自らの考えを述べる時間を大幅に増やす方向性に変わっていたらちょっとは良かったのかもしれないと思う。

点数をつけて序列をつけるのではなく、自らの考えを周りに発信して、みんなからどれくらいすごい人と思われるかで序列をつけたほうがよっぱど健全な世の中になるのではないだろうかと思い始めてきました。

原発事故の加害者の一人は国

小泉進次郎さんの言葉

「原発事故を起こした加害者側の1人は、国だという認識を、絶対に忘れてはいけない」

は素晴らしい言葉であります。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20140617-00000770-fnn-pol

こういう意識を持って国を代表して仕事をしてくれていいるというのは国民にとってとても安心感があります。

一方、こういう意識をまったくもっていない議員もいるというのは残念なことです。最近有名な発言になった。「最後は金目でしょ」なんて最たる門で、加害者意識が全くないというのは間違いないと思われる。

たとえ、昔の他の議員が決めたことであっても、自分できちんと責任を背負おうと言う姿勢は重要であると思う。これはおそらく一般企業でも同じで、常に自分に責任があると言う気持ちで仕事に望むと言うことは非常に重要なことだと思う。


「最後は金目でしょ」なんて発言は、別の現象に例えるのであれば、交通事故を起こした加害者が、被害者に対して、「金で賠償すればいいでしょ」「所詮は金が欲しいんだろ」といっているようなもんです。しかも、今回の場合には、自分の懐から出す金ではなく、国民の共通資産から出されるお金である。それをそういう気持ちで使おうとするのだけは絶対に許したくない。

政治の世界には、我々の日常の常識とは異なる常識を持っていることが多い。例えば、国会の議会中に響きわたるヤジ。自分の党の発言だったら、とりあえず「そうだ!そうだ!」と同調する声を上げる姿。正直、小学生の学級会くらいにギリギリ見たかなという感じで、あまり、一般の社会の中では見ない光景である。

もっと一般的な世界と言うものを政治に取り戻す必要があるのではないかと思う。政治家を評価できるのも国民一人ひとりしかいない。国民を代表して仕事をしてくれる人は誰なんだろうかというのを真剣に見極めていく必要があるのではないかと強く感じた。