太田光さんの叩かれ方を踏まえて、最近の世の中に対して思うこと

ここ数日の、何か意見を言うと、SNSでリンチ状態になるというのを度々目にする機会が増え、久々に時事ネタでちょっと書いてみたくなりました。

そんな、最近の世の中について、違和感があるのでそれを書いてみようと思います。

その違和感とは、「自分と異なる意見を言っている人を叩きのめすという風潮」です。これは、ある意味いじめにも似たような感覚があります。なんか暴力的な風潮だなと強く感じます。昨今、暴力は激しく否定されている時代ではありますが、言論的暴力はむしろ昔よりも悪化しているのではないかとすら感じます。

ここ数週間、爆笑問題の太田光さんが統一教会を擁護するような発言で炎上しています。統一教会を擁護するなとか、外野は黙ってろとか、テレビにですなとか、言論を抑圧するような感じで言って来ているように見受けられる部分があったりします。

太田さんが、言っていることに対して、それは、自分と考えが違うとかいう意見を述べるだけならまだしも、テレビに出るなとか、そのことについて喋るなとかいうようなことを言う人がいると言うことに恐怖を感じています。どこに抑圧する必要があるのでしょうか。芸能人が言っている発言を真に受けるという世界なのであれば、本質的には、この今の問題は解決しないです。なぜならば、教団が言っていることを疑わずに魔に受けてしまうというタイプの人が、信者になってしまうからです。この構図は、情報統制であり、マインドコントロールとかとにた構図で、非常に危険な構図です。

本来は、人それぞれ色々な意見があって、それを聞いて、自分自身でそれを受け入れるかどうかを判断すると言う世界が多様性を認めるということであり、そういう世の中の方が健全だと思うのです。言論など統制することなく、考えを強要することもなく、やればいいのです。強制すべきなのは法律のみでいいのす。

自分と意見が違うから、お前黙ってろ的なことを言う人は、ちょっと言い過ぎだし、そこまで言う権利はないのではないかと思います。

最近は、発言力の大きい人は、発言に気をつけろと言うような主張も聞くことが多い気がしますが、これにも違和感を感じざるを得ません。

本来は、正しいか正しくないかはここが考えればいいこと。これができない人が増えて来ているのだとすると、それ自体が問題なのではないかなと感じます。あの偉い人が言っているんだから正しい。その考え方こそが非常に危険な考え方です。

僕らは、同じ人間同士、いがみ合わずに相手のことを尊重して、生きていくと言うのが大切なんだと思います。統一教会の信者になっている方々も同様です。統一教会を信じていると言う気持ちは尊重する必要があります。もちろん、周りの人は、騙されていると言う可能性も教えてあげる必要性もあります。その上で、本人が判断をして本人が正しいと思う方向に進めばいいのです。

片方の偏った意見を押し付けると言うのは、ある意味統一教会と信者の関係とも似ていますし、それを一歩的に否定するのを押し付けるのもまた違うと思います。

両側の情報をきちんと与えて、それでここが判断すると言うのが健全な世界なのではないかなと思います。

今の不健全な状態は、早く無くなってほしいなと強く感じています。

おまけ:

ちなみに私は、太田さんが言った「救うと救うがぶつかっている」という発言については、全く同意できないです。教団側は、救うために勧誘しているとは思ってないからです。私も若かりし頃、会社の同僚からの誘いで変な団体に誘われましたが、初日に断りました。その時話してた時も、「あなたのために」みたいなことはいっぱい言われましたが、自分のことくらい自分で考えてやりますよみたいな思いがあったので、丁重に断りました。今思うと、あれば統一教会だったのかもしれませんが、当時の名刺も今はないので全くわかりません。

当時私が思っていたのは、救うというよりも自分達の利益のために誘っているというようにしか感じませんでした。きっと、統一教会も同じだったんじゃないかなというのが私の個人的な意見です。

自分と意見が違うからといって、太田さんにテレビに出るなとも思いませんし、黙ってろとも思いません。そういう自分と違う考えを聞くのは面白いなと思います。

一方で、自分の意見を強要するような感じで行ってく人は好きではないです。太田さんの場合にはそういう感じではないので、全然許容できますね。



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